東方神起ユノが表紙の『セレブリティ』8月号、メイキング動画が公開。

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ユノ「これは編集しないで下さい。全部分かってます。
僕が最善を尽くしてますから。
セレブリティ好きです。
果たしてこれが出た時、僕は見れるでしょうか…」
ユノ「それでは元気に行ってきます!」

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ユノがチョン・ユンホになる日」として、入隊前のインタビューを収めたユノの特集号。
読み応えがありました!



以下、インタビュー翻訳です(抜粋)

チョン・ユンホの青春

さっき撮影の時に光をボトルに透過させて残像を作ったじゃないですか。
僕はそんな感性が好きです。
その残像が僕の青春の余韻じゃないですか。
そんな意味を考えながら撮影していたら、過ごしてきた時間を振り返っているようで嬉しかったです。


チョン・ユンホという名前はどういう意味ですか?漢字の意味です。

国の名前の鄭に信じるという意味の允、大きいという意味の浩は、いつも大きくより広く昇っていけということ。
人を信頼して理解して抱くという意味です。
僕が長男で、そんな意味が込められているんです。
その上、27代目の初孫なんです。晋州鄭氏 忠莊公派 27代孫です。

小学校の時も生徒会長でした。副会長や学生会委員もしました。

幼い時から何をするにも常に前に立っていました。
だけど、僕が好きな役割ではない
です。


-だけど、リーダーとして仕事を繰り返していたら自然と慣れるんじゃないですか?

チョン・ユンホはいつも寂しかったです。
チョン・ユンホは誰よりも純粋で、幼く寂しい子どもでした。
そんな気持ちを他の人に表現する方法を知りませんでした。
むしろ、コンプレックスを想像で解消しようとしました。
自分に目標ができたら、未熟でも完璧になるまで努力します。

逆にユノユンホは違います。
いつも余裕があって自らを最高と思ってる。

情熱は全く同じだけど、受け入れて解消する方法が違いました。


-どうして一人の人間の中に、その二つの方式が存在出来るの?

僕はそうやって生きてきました。
ステージに立つためにはユノ・ユンホとして生きてゆきます。
ステージの上が僕のストレス解消になる唯一の空間です。
今まで誰にも言えなかった全てを曝け出せる場所です。
ステージの上に立つときは、正反対の人間になるみたいです。
パッと変わってしまうといえばいいのかな。
僕が感じるままに全てを発散します。

例えば、ダンスもそうです。
決められた振り付けがあって、ディテールを数多く練習するけども、ステージに立つと自ずと目覚めてくるんです。
反面、チョン・ユンホとしての僕は、非常に保守的で純粋です。
もちろん、ユノ・ユンホであれチョン・ユンホであれ、全く同じ価値観から始まりますけれども。


-幼い時にデビューして、時間が経つにつれて、チョン・ユンホとユノ・ユンホが分かれるようになったんですか?

それは違います。
デビューの最初からたくさんの人に愛されたのは事実だけど、平坦ではなかったです。
予想できない峠が何度もありました

そうやって生きてみると、自我にぶつかる瞬間もありました。
『自分が変わったのか?』こんな質問を絶え間なく繰り返すしかなかったんです。

やっぱり、一番楽で気軽な答えは、僕自身を「ありのままに」認めることでした。
僕は歌手であり観客たちはステージに立った僕に呼応してくれます。
僕はそれに応えます。
歌手と観客がひとつになって作られていく瞬間にのめり込んで生きてきました。

だけど、チョン・ユンホの人生は別のところにあります。
まだ未熟だけど、いつかは誰かの責任を取らなきゃならないし、家長にならないと
人と人生を見つめる視線も要るし、眩い幻想から抜け出す方法がなきゃいけません。
何よりもユノ・ユンホがいつかは帰る憩いの場が切実に必要です。
一種のベースキャンプです。
やはりこの職業はスポットライトを浴びる職業だから、僕も知らずのうちに酔いしれてしまうんですよ。酔ってしまうと、全てを失ってしまいます。

僕はユノ・ユンホも好きです。

だけど、どれだけユノ・ユンホの姿を好きでも、僕は本来チョン・ユンホじゃないですか。
それを失ってしまったら駄目です。
だけどこの仕事をするとそれを簡単に失いがちです。
僕はそうなるのがとても嫌なんですよね。


-以前のインタビューで、チョン・ユンホの内面は『高校卒業後のそのままで止まっているみたい』と。

その通りです。
ユノ・ユンホという名前で人生の半分を生きながら得たものも多いし、
チョン・ユンホとして育んできたリーダーシップをより多く発揮できます。
光州の田舎者である僕が、どうやって海外のあの多くの国を行き来することができますか。
お陰で見聞も広がり、キャリアもしっかりと積みました。
その間、チョン・ユンホとして大きく成長したとは思っていません。
(チョン・ユンホとユノ・ユンホ)どのような姿かによって性格も少しずつ変わるようです。


-撮影現場ではとても明るかったけど。

そうです。
さっき撮影場所で見てわかると思うけど、本当に快活でしょ。
だけど実はそうじゃないんです。
ひとりでいたら真剣に考えていることも多いです。
今後の計画や、事の順序などを、完璧に組み立てないといられない性格なんです。

反面、誰よりも感情をあるがままに受け入れることも重要視します。

人は優しくなければいけないと思うし、また、凄く正直でもあります。
ユノ・ユンホとしてチョン・ユンホを見つめるとそんな姿が見えます。

ユノ・ユンホとして生きながら、僕が少しずつ成長したんですよ。

もちろん、二人とも僕です。
だけど二人はいつもぶつかります。
例えば、芸能人の中で同じ事務所で住民票の取り方も知らない人もいました。
いつもマネージャーが手伝ってくれるからね。
僕はそうならないようにします。
日常的な部分を自らでしようと努力します。
とても小さなことかもしれないけど、一人で人生を乗り切っていく方法も、しっかりと学ぶべきだと思います。


-たくさんの悩みがありましたね。

僕の歳が20代から30代へ越えていく時期だからかな?
なにより、『ひとりの社会構成員として生きていくために、分からなかったり未熟だったことは認めて、少しずつできるようになっていったら、もっと素敵な人になれる』って考えています。

僕の20代をユノ・ユンホとしてちゃんと過ごしてきたのならば、30代の始まりは軍入隊という、
ファンたちにはユノ・ユンホの空白期間に思えるだろうけど、僕にはチョン・ユンホに再び戻って、ひとりの人間として成長するチャンスになるでしょう。

それこそ、20代のユノ・ユンホと10代で止まっているチョン・ユンホがお互いに出逢えると思うんです。しばらく、将来について悩みました。
実は、中学生の時からそうでした。
未来に対する計画が既に30歳まで作られていたんです(笑)。


-だから家族が反対でも、絶え間なく踊って歌ったんですね。

僕は10代の時、本当にとんでもない夢を見ました。
検事になりたかったんです。正義感にとても溢れていたので、法曹人として生きたかったんです。
だけど不本意ながらダンスと歌にハマって、また幾度の峠を経験しました。
だけど、その瞬間瞬間、運っていうのかな?それが全て合致しました。


チョン・ユンホへ戻る道

-過去のインタビューでも時々結婚話をしていますね。デビュー当初は27歳になったら結婚すると。

中学生のときは23歳ですると言いました。
デビュー後も27歳ぐらいには結婚しなきゃって思ったけど、年を取りながら考えが変わったんです。
今は誰かを責任持てる歳になった時に結婚したいです。


-誰かを責任取れる年齢は何歳ですか?

年齢制限はありません。
ただ、責任感のある家長という理想を、いつかは守りたいです。


-結婚をよく考えてるみたいですね?

考えなくはないです。
心から愛する人に出会いたいです。
だけど、僕も相手側も、お互いに心から愛したとしてもタイミングが合わなければ出会えないじゃないですか。
だから誰が僕と結婚するか分かんないけど、僕が相手に会えるよう祈った分だけ、その人も僕と同じように祈ってくれたら嬉しいです。
今もです。
そして、僕の友人たちが、僕らが約束したたくさんのことを忘れないよう願っています。
家族は当然のことながらね。
ファンたちも同じです。
約束を覚えていたら、似ていくって言うじゃないですか。


-ソン・ホジュンさんや周りの友人の面倒を見ているのを見ると、今も十分にひとりの女性を責任取れそうだけど。

僕は自分自身が信じられません。
男性と女性は、また違いますから。
僕は意外にもロマンティックな人だから、仲睦まじく二人だけのページを満たしていくのが好きなんだけど、表現が上手くないです。
それは恋人であれ友人であれ、大切にすればするほど、好きになればなるほど、言葉にうまくできません

一人で唸って、心を痛めるスタイルです。


-よく痛めましたか?

多かったです。
僕はたくさんの人と付き合う性格じゃないです。
男性に対しては快活で気が強い方です。
スタッフには人間的に歩み寄ろうとします。
出会う人と状況によって接し方が違います。
だから軍気班長って言われましたよね。

愛する人には、まずは理解しようと努力します
もちろん話せずに一人で心痛める時も多いです。
性格上、まとめてから話さなきゃならないと思うんです。
ハッキリしなくちゃ、と。
「チョン・ユンホという子は成長しきっていないようだ」とよく感じます。
そして、皆さんがユノ・ユンホを褒めてくれる時、「僕がそんなにいい子なのかな?」と疑問が浮かぶ場合もあります


-青春や20代という言葉には初恋や別れ、情熱、失恋みたいなのが浮かぶけど、どれが一番近いですか?

20代は当然走らなきゃ。
僕は情熱的でした。
僕がいつも欠かさない言葉があります、『頑張ります』です。
それはユノ・ユンホとしてよりも、チョン・ユンホとしていつも言っていた言葉です。
『出来なかったら出来ないまま、上手く出来たら、そのまま先ずはぶつかってみよう』、
『ぶつかったことは確実に責任取ろう』

その責任感のお陰で多くの仕事をしてきました
自分のことを責任持つことのできる人間というイメージが生まれて、より多く働けたんです。
20代は、一つのことだけを考えながら走ってきたみたい。
『大変でつらいことは30~40代で経験するよりも20代で経験するのがマシだ。
早くぶつかって、全部のことを自ら判断する時期が来て、責任持たなきゃいけない人が現れた時、より良い結果を必ず作る』、と。


-急に気になったけど、ユンホさんのお父さんと性格が同じですか?

父ははっきりした性格です。だけど情が深いです。
母も情が深く、純粋です。
僕もちょっと…(笑)。
昔は、父と似ていると思ったけど、最近は母にも性格が似ていると思います。6:4ぐらい?


-幼い時から厳しい教育を受けてきたんでしょうね。

祖父の影響を多く受けました。
とても寡黙でいらっしゃるのに、みんなに評判の良い方でした。
情が深くて。
軍人だったけど、多くの人に尊敬されていると思いました。
僕が幼い時から、祖父の弟子がよく訪ねてきていたんです。
僕に、いつも奉仕して生きなければならない、暖かみのある人でなければならない、他人を助けてあげられなければならないと教えてくださいました。


-祖父や父親といえば浮かぶイメージがありませんか?

僕は祖父の親指です。
僕はステージや授賞式でいつも親指を立てます。
おじいちゃんのために。
東方神起のデビュー直前、祖父が肺がんで亡くなられました。
初孫だからと、僕のことをたくさん心配してくださって。
いつも「デビューはいつするんだ?」と気にしておられました。
有り難いことに、祖父の臨終を見届けることができました。
亡くなられる前にも父ではなく僕を探していたそうです。
快活に笑いながら格好良く、親指を立てられました。
それが最期のお姿でした。その3日の間、泣きました。


-入隊前に、ひとりだけで過ごせましたか?

数日前、光州に行ってきました
スケジュールを終えて友達と帰省しました。
両親に挨拶して、大きな悩みがある度に僕がいつも行く公園に寄りました
軍入隊を控えているからね。もう一度、気を引き締めようと思って。


-もしや、最近『二等兵の手紙』や『入営列車の中で』を唄いました?

いいえ。入隊自体に対することは悩みません。
ただ、もうじき僕が立ってきたステージと、10年以上一緒に歩んできた人たちと、本当にしばしのお別れでしょう?
中学生の時ソウルに上京して苦労してオーディションも受けて。練習生の時もたくさん苦労しました。
そうやって東方神起で過ごしてきた時間としばしの別れをするための準備ですよ。


-軍隊は身体と時間で耐え抜くことだと、寧ろ良いこともあるでしょう。

わかりませんね。何とも言えません。
その中で一人だけの闘いがまたあるでしょう。
まずは社会生活と断絶されますからね。
社会でどんなことをしても断髪して入ったら、みんな同じ人間だから。

むしろ、楽しみな部分もあります。
軍隊では僕がこれまで出会えなかった、感じることができなかった感情を経験するだろうというドキドキです。
そしてチョン・ユンホが本当に成長するチャンスになるだろうと思います。
だけど、どう変わるか分からなくて不安感もあります。
それで今、この瞬間をもっと楽しむのみ、行って帰ってきたら怪物になっていようって思ってます。


-除隊後のユノ・ユンホを待つ読者たちに一言お願いします。ファンが必ず聞きたいことでしょうからね。

最後のコンサートで『いってきます』と言って『いってらっしゃい』という一言だけ言ってくれと言いました。
実はちっぽけだった子が、皆さんのお陰で、皆さんと同じ夢を描いて、一緒に見るようになったことが本当に増えました。
それで僕はこれからまた、他の夢を見ようと思います。
もうちょっと充実していて、もうちょっと明るい姿で、皆さんに報いれるよう、もっと成長した姿で帰ってこようって。
だから、皆さんも一緒に成長してくれたら嬉しいです。
僕たちはまだ、現在進行形である『ing』であり、『end』でなければ良いです。
だから言いましたよね。軍隊から戻ってきたら怪物になってるって。
必ず、そうやって戻ってきますね。




-エピローグ-

今回のソロ曲MVに出演したカメオたちが何故ユノ・ユンホにとって特別なのかが分かった。

「【Champagne】MVで実際に同郷仲間とSMエンターテインメントの職員たちが出演します。
自分の軍入隊前に伝えたい最後の思い出でありプレゼントでした。
今回、MVは出ないかもしれない作品だったのに、無理をしてでも絶対に撮りたかった。
スタッフと昔に約束したことを忘れてなかったんです」

一緒にMVを撮ったら本当に素敵だろうというスタッフの言葉に「俺、やるよ。」と答えたのだった。
今回のMVはユノ・ユンホが今まで感じたことと考えていたアイデアも積極的に反映された。
「既存のMVとは感じが全然違うでしょうね。『ユノユンホがそんなことするの?』と言って吃驚するだろうね? わざと芸能人の友達は一人も声掛けしませんでした。
入隊前のユノ・ユンホではなくチョン・ユンホの姿を見せたかったんです。
東方神起のユノ・ユンホでありながらチョン・ユンホとして初の作品なのです」。
コンサートでは既に歌ったことがありますが、当時はミディアムなテンポの曲だったし、今はもっと早く編曲されて若干のギグコードが含まれた。

ユノ・ユンホはいつも前を見て駆け抜けてきた。
「東方神起のユノユンホとして一番つらかったことは、自分たちの記録を壊すことでした。
まるで、0.1秒の記録を短縮するために努力する100m走の陸上選手のように、僕らも3分以内に全てを見せられるように本当に長い間、たくさん汗を流しました。
なのに、とある人は『3分だけ歌ったら本人が望むことを全部得たんじゃないのか。』と言うこともありました。」
実は短距離選手よりも悪名高いコースを走るマラソンランナーに近かった。
コンサートのリハーサルでも、ドラマや映画撮影のために台詞の練習をする時も同じだった。
「僕には、大まかにということはありません。
コンサートが僕にとって10回公演だとしても、1回の公演のために遠くから来たファンもいるでしょうからね。それを忘れないようにしています」
だからだろうか。東方神起のコンサート会場には少年から、ご年配の老年夫婦も時々見掛けられる。
男性ファンもとても多い。これは彼の誠実さのお陰である。
「歌も初めは上手だと評価されなかったんです。だからもっと一生懸命努力しました。演技も同じです。まだ足りないけど、もっと良くなるって信じてます」

ユノ・ユンホは、自身が出会う多くの人に、夢は何だと聞くと語った。
その問いに答えるために悩む相手の眼差しに、真実が込められていると思う。
だから彼に夢を聞いた。彼の目は輝き、言葉を溢れさせた。
だが、彼の瞳よりも彼の手に目がいった。
デビュー当初に滑らかだった手は、長い練習による擦り傷が多く見えた。
そしてユノ・ユンホが立ち上がり、手を差し出しながら言った。
「元気に行ってきます」


ユノユンホ グラビア撮影チーム

初めて会うスタッフたちと気まずくならないよう話し掛けて親しく接するユノ・ユンホは、顔だけ格好良いわけじゃなく、性格もまた最高だった。
タイトなスケジュールに一度も顔をしかめることなく笑顔で最後まで撮影してくれた、まさに今月の貢献者だ。
当分の間、ユノ・ユンホではないチョン・ユンホとして過ごす彼を応援して、2年後もっと素敵な姿で、再び会えることを祈る。